歌舞伎俳優、市川海老蔵さん(39)が23日午後、東京・渋谷の東急Bunkamuraシアターコクーンのホールで自身の公演終了後に記者会見を行い、がんで闘病中だった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(34)が死去したことを明らかにした。「愛してるといって、旅立ちました」。約400人の報道陣が詰めかけ、騒然とする会場で約20分間、海老蔵さんは涙を流しながら、気丈に言葉を継いだ。
会見の詳報は以下の通り。
《午後2時35分過ぎ、海老蔵さんは黒いスーツとネクタイ姿で会場に現れた。報道陣のカメラの無数のフラッシュを浴びた顔は、憔悴(しょうすい)しきった様子だった》
「このたびは、ご報告するようなことではないのですが、今朝、家の周りに多くのマスコミの方がいらっしゃいましたので、ご報告も義務だと。昨日夜に妻、麻央が旅立ちました。思った以上に、皆さんに伝わったのが早かったので、多くの方にご迷惑のかからないようにと。ブログなどで妻のことを応援してくれた方々のためにも、(この場を)設けさせていただききました」
《一言一言をしぼり出すように語る海老蔵さん。ひとしきり話し終えると、報道陣との質疑応答に移った》
--麻央さんとの最後のときは
「私は昨日、舞台があって、(姉でフリーアナウンサーの小林)麻耶(まや)さんと、お義母さまとがずっと看病してくださっていました。舞台の後に撮影があって、その後、稽古もありました。お義母さまからLINE(ライン)が来ていましたが、僕は見ることができませんでした」
「1時間半ほど遅れてみると、具合が悪いと…。医師が家族を呼んだ方がいいとのことで、慌てて帰ったわけです」
「帰りますと、この世にいてくれて。妻は苦しそうな顔で、おとといまではしゃべれたんですが、昨日はしゃべれず、不思議な話ですが、息を引き取る瞬間、(妻は)私を見ました。そのときに、『愛してる』と言ってくれた。彼女が…言って…」
《海老蔵さんは気持ちが高ぶり、声を詰まらせる。涙があふれた顔を、両手でぬぐい、「泣いちゃいますよね」と言葉を継いだ》
「その一言、『愛してる』と言って…そのまま旅立ちました」
「彼女が旅立つ間際、『愛してる』と、聞こえたか聞こえないか分からないくらいです。何ていうのでしょうか。こんなに愛されていたのが、よく分かっていたんですが…」
《たびたび涙で言葉を詰まらせる。「ふう…」と深呼吸して続ける》
「どうしても、昨日の今日で何も準備ができてなくて、お見苦しいところを」
《声はか細かった。だが、精いっぱい、最愛の妻のことを語ろうとする姿が印象的だった》
「笑顔と勇気と愛情、決してぶれない自分、どんなときでも相手を思いやる気持ち。愛ですよね。そういった力が最期までぶれず、一昨日まで笑顔で話してた。昨日は調子が悪かったので。われわれ家族も急にそういうふうになってしまったので戸惑った部分、そういうのが大きかったです」
--麻央さんは、どんな存在でしたか
「私を、どこまでも愛してくれていたんだと。…うん…存在っていうのは…」
《海老蔵さんは、目を閉じ、言葉を発さず考え続ける》
「まあね…存在ね…。できればずっと一緒にいて、私のほうが先に逝って。もっと幸せに。私が役者として成長していく過程をずっと見守ってもらいたかった存在です」
《目頭を押さえ、麻央さんを思い出すかのごとく遠くを見るような表情を見せる海老蔵さん。カメラマンたちのシャッター音が会場に響き渡る》
--(長女)麗禾(れいか)ちゃん、(長男)勧玄(かんげん)君は
「麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って、寝ていました。うん、うん(納得するようにうなずきながら)…認識は、していると思います」
「勸玄はまだ…。分かっているのですけれど、分かっていないところもあって。今朝も麻央が横になっているところに行って、麻央の顔を触ったり、足をさすったり。そういうところを見ると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子供たちに対して、とても大きなものがあるなと、痛感しました。勸玄はまだ、分かっていないと思います」
--麻央さんから学んだことで、どういうことを伝えたいですか
「元気になったら、彼女は、多くの人に救いになれるようになりたい、と。それでブログというものも始めたんですよ。マスコミのみなさんのおかげで公になって、ありがたかったと思います」
「ブログを始めて同じ病の人たちや、苦しんでいる方々と悲しみや喜びを分かち合う姿は、私からすると“人”ではない、というか、何ていうんですかね、すごい人だなというか。言い方おかしいですけど。今後も教わり続けることは、愛だと思います」
《スタッフがハンカチを手渡す。海老蔵さんは鼻を拭う》
--思い出すのは、麻央さんのどういう表情ですか
「全部ですね。初めて会ったとき、今日の朝まで全部。全部ですね」
--海老蔵さんや子供たちへの言葉で、印象に残っている言葉は
「心残りだと思います。2人のことについては。どうすればいいんだろう。考えても、答えは出なかったことと思います。子供たちが舞台に出演したり、今度もせがれが出るんですが、そういうのを見に来ることをひとつの目標としていたんですけど。(今も)きっと見ていると思うんでね。心配で心配でしようがないんじゃないでしょうか」
--なにを託されたと考えますか
「多すぎて言葉にならないですよね。舞台も、来月もありますし、まだ(子供は)5歳と4歳ですから。これから『お母さん』という存在が、彼女や彼には重要になるのではないですか。でも、失った。僕が代わりにはなれないですけど、できる限りのことをややっていくように」
--麻央さんがよく言っていた言葉で思い出すのは
「言葉というか、お姉さんの(小林)麻耶さんが調子悪くなったときも、私が舞台で疲れたときも、麻央のほうが大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ。言葉、というのではなく、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち。これはね…」
--どんな奥さまでしたか
「分かりませんね。僕を変えた奥さんじゃないですか」
--麻央さんに改めて言いたいことは
「まだ昨日の今日なので、こういうところも“聴いている”と思うので。全部聴いてると思うので。言わなくても伝わると思うので、いつも思っているということで」
「麻央のブログや麻央の存在で励まされた方がいらっしゃるということで、ある意味こういう形(記者会見)を取らせていただいた。そういう多くの麻央のことを応援してくださった方。本当に昨日、先に旅立ちましたけれど、ずっとみなさまのそばにいると思うんで、本当にいろいろありがとうございました」
《「そろそろこのへんで」と会見を打ち切ろうとするスタッフを「まだ大丈夫だから」と制しながら20分間続けた会見が終わった。一礼すると海老蔵さんは会見場を後にした》
Yahoo!ニュース引用://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170624-00000504-san-ent
【newscollege管理人コメント】
訃報。。。
海老蔵さんのファンでもなく、真央さんのファンでもない自分ですが。。。
悲しい、ひたすら悲しい。(涙)
ただ、ただ、ご冥福を祈ります。